願いは叶うらしいのさ

12月14日と15日は私にとって一生忘れてはいけない日です。

久しぶりにハガキを書きました。
本当は手紙でも良かったんですがだらだらと長い文章を書いても仕方ないと思ったので。
これで私の中で一区切りつけばいいんだけどなぁ。

またやって欲しいなんて私の立場じゃ簡単に言えないけれど、
もしまた運良く1回行かせて頂けるなら 絶対泣くと思う。

私生の演技とか歌ってる様を見て泣いた事ってあんまないんですけど*1これは泣くと思う。

12月の定期考査がありそれの追試の日が15日であって ひっかかってしまったらいけないから普段の3倍位頑張って勉強した。
その頃ノロウィルスという病気が流行っていたのも知らなかった私は
弟がすごい吐き気を催す風邪になっていたのも目に少し止まる程度であった。
私は試験最終日になって緊張か朝から食欲が全くなかった。
試験は大嫌いな日本史Bで友達にしきりにきもちわるいと連呼していたら「流行のノロだったり〜?」と言われ全く知らなかったので本当にそうかもと思った。
帰りの電車の中では吐き気がピークに達しいつもはお腹をすかせる要因であるホームのラーメンの匂いを嗅いだ瞬間「やばい」と感じた。
駅のトイレで母に電話し「○○くん(弟)ってノロだった??」と聞いて迎えに来てもらうよう頼んでも全然重要視してくれず貧血状態で地元駅の病院に向かった。
準備をする間もなく東京駅に向かうはずだったので財布もキャリーにしまっていたから受付も出来ずただ座って母を待っていたら看護婦さんが慌てて私をベットへ誘導した。
相当ひどい顔だったのかな。
横になったら貧血の疑いで点滴を打たれたが血管が見えにくい私は射しても半分くらいもれていたらしい。
ここで私は一緒に行く方にメールし状況を伝えた。
ここでまだ行く気だった私は母にこっぴどく怒られた。
人の事呼び出しといてっていう意味合いだが。
やっぱり自分の判断は残念ながら間違ってなくて弟から空気感染していたノロウィルスだった。
ひたすら胃にあるもの外に出して薬を飲んで寝るしか方法はなく、熱を下げなければ絶対に明日は行けないと分かっていたからブログに報告だけして身内からの連絡には一切返事しなかった。
翌朝まだ微熱は残るものの行くことしか選択肢はなく必要最低限の荷物だけを持ち誰もいない家を出た。
東京駅で当日に新幹線の切符を買っている私は今でもちゃんと買えたのが奇跡だと思う。
新幹線に乗り込んだ時母から「どこにいるの?早く帰ってきなさい!」というメールが来て
「自分の一番好きな人が1人でコンサートやることなんてこの先ないと思うから行かせてください。ごめんなさい。」と返した。
本心だった。
そしてまた近況をブログに更新しあっというまについた。
すぐにコンサートが始まり、終わった。
体調に変化はなかったが友達から来た「本人に移ったらどうするの?」って言葉が公演中何度も頭をよぎった。
でも私は考える余裕がなかったし行く以外の選択肢はなかった。
本当に子供の考えだった。
公演後会場前に友達といたら
一人のファンらしき子が話しかけてきた。
「あのーラストやす泣いてましたー?」
あんまり話しかけられることってないから驚いたが警戒心は不思議となかった。
その子達は14日の2部に入っていたらしいので実はわたし14日の2部も行くはずだったんですけどと話し席も伝えたら「そこ多分やす座ってましたよ」と言われた。
あのコーナーの時か・・・
なんとも言えなかった。
怖かった。
あんな狭い会場で目に付くところに穴を開けてしまった事。
取材日であったこと。
絶対に本人は気になっていただろう。
申し訳なかった。
でも頭の悪いわたしはどうしようも出来なかった。
今考えればいくつか方法はあった。
自分の身体を優先してしまった。

久しぶりに学校に行ったらなぜかみんな事情を知っていて心配された。
コンサートのことも。
痩せたねとかも言われた。
帰ってきて必死にレポートをあげた。
ネタバレもあんまり踏めなかったが自分で見たものそのままを書いた。
完全にじこまんだったが。

*1:本人が泣いてるのは例外